もろもろの好きについて

ふきでもののような人間が舞台の感想を書いたりします ※2018.10 King&Princeの岸優太くんに嵌りました→2019.5 Travis Japan勉強中です→2020.8 Aぇ!groupも最高やん…

「クロードと一緒に」心の言語化100分

「Being at home with Claude ~クロードと一緒に~」4月20日19時公演(Cyan) @シアタートラム

評判を聞いて、咄嗟にチケットを探して観劇してきました。*1もっと憂鬱な気分になるかと思ったら、あれ…キュンとした。イーブ(主人公)が魅力的でとても好きな人物だったので、ヒリヒリ痛みを感じながらも、終始うっとりでした。あらすじ等は下記のページに詳しく書いてあるよ。

「Being at home with Claude~クロードと一緒に~」 4月17日の初日に向けてコメント到着 - Astage-アステージ-

以下、感想長いです。

 迫り出す八百屋舞台を客席が3方向から囲む。舞台中央に執務机、上手側には速記者の使う縦長の机。それらの奥、中央には扉がひとつ設置されている。(扉の奥には巨大な扉が描かれていた)美術はざらっとこんなかんじ。

照明が落ち、曲が流れ、一人ずつ扉から登場する。舞台上を歩いたり、椅子に座ったり、受話器を耳に当てたり。このオープニングが、ひぃぃカッコイイ!強弱のおぼつかない音楽で、延々と続く取り調べのヒステリックな空気がわかる。単純に曲もカッコイイ。*2カーン!とゴングの音をきっかけに、それからは台詞の洪水。

 

5分も経たないうちに、イーブに惚れ込んでしまったように思う。例えば、“うんと落ち込んだ時は散歩をする。ずっと歩いてるとそのうち眠くなって寝ちゃう。”という行動にすっごく共感した。他にも自分の行動についてはぼちぼち話すが、殺害の動機は明かさない。しばらくするとクロードについて少しずつ語り始めるんだけど、言葉を探しながら自分の心を辿るイーブがとても美しかった。

クロードにとびっきりの愛を覚えたけど、それを言葉で表現するなんて無理!他人に分からせるなんてできっこない!だって「僕はケツの穴で考える!」んだもん。それでも、うずまく心を言葉にしてみる。「どうしても陳腐な言葉になる。腹立つ!」と言葉を探る姿は、愛に対して誠実でドキッとした。心の言語化に葛藤する、その葛藤が瑞々しくて美しい。あの100分の間に、彼の心のどれだけを言い表せただろう。もう私は何時間でもイーブの言葉を聞いていたいと思ったよ。発した言葉はきっと衝動的、直覚的に出たものが多いんだろうけど、彼の言葉はまるごと真実だとしか思えなかった。途方もない正直ね。

そして松田凌の芝居に、嘘がない。私、松田凌のお芝居メチャクチャ好きなんじゃねえかって、驚いた。本作の見どころ、終盤20分?程イーブの独白が続くわけだけど、あの時のシアタートラムは1967年7月5日のモントリオールだった。イーブのこぼした言葉たちが静かに輝く。彼が明かしたクロード殺害の理由は、ただ愛のみ。彼のしたことを「殺人」という罪の名前で表すのは残酷だとさえ思ってしまう。独白の最中はイーブを凝視して目が眩みそうになった。まぁそんなだから、独白を受けての刑事の心の機微を読み取れなかったのが残念である。じっと静かにイーブを見つめる刑事の姿は視界の隅に感じたけど。リンクを貼った記事のあらすじに

浮気でも、大学生にあきた訳でもない、その殺害の理由を"彼"がようやく語り始めたとき、判事の到着時間となり、その理由に心を打たれ始めた刑事が、やるせない思いのままで彼は部屋を去る。

とあるのだよねぇ。今回スイッチ・キャストだったのに片方しか観られなかったのも残念だし、もっと細かい部分を観察したいので再再演を楽しみに待ちます。それと台本が欲しいです。台本が、欲しいです。

 

男娼として身体を売ること。両親を亡くしていること。教育を受けていないこと。イーブは何重にもはみ出し者だ。ケベック人がアイデンティティに目覚め動き出すなか、陰で生きたイーブ。その痛みも幸福も私には理解できない。吐き出される単語は生々しく苦い。あぁそれでも、美しいと思った。イーブの若さも、不器用さも、誠実さも、美しさもぜ~んぶ愛おしい。自分の名前を明かそうとしなかったのは、「イーブ」と呼ぶのはクロードだけに許した特別だったからだろうか、なんて。そして逆も。“言葉にすると余韻は消えてしまう”と言う彼が、一番大切な感情の言語化に葛藤し、言葉として吐き出し、そして言葉にしなければならなかった。

それにしても、「パンケーキみたいにひっくり返った」という表現は、可愛すぎるよ。

*1:初演は観てないです

*2:サントラ売ってたことを後で知って悔やんだ